2.「ペリー横浜上陸図」玉楠の木

前述のように、ハイネが描いた『ペリー日本遠征記』の『玉楠の木』の版画では、祠は海側の東よりに向いていますが、同じ人物の手になる『ペリー横浜上陸図』では、なんと陸側の西を向いています。

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(『ペリー横浜上陸図』に基づいて作画。 by Higaori)

しかし、枝振りや水神の祠と鳥居、そして石灯籠に至るまで位置関係や大きさは同じです。
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左:『ペリー横浜上陸図』の玉楠と水神の祠のみを抽出。 右:『ペリー日本遠征記』の玉楠の木

このことから、
A. 水神の祠と鳥居は実際には陸地側(西)に向いているので、『ペリー陸上上陸図』が方向的に正しく、『ペリー日本遠征記』の『玉楠の木』の方向が違っている。
B. 水神の祠と鳥居は実際には海側(東)に向いているので、『ペリー日本遠征記』の『玉楠の木』が方向的に正しく、『ペリー陸上上陸図』の方向が違っている。
C. 時期によって方向か変わった。
D. どちらも正確ではない。

といった可能性が生じます。ハイネが、正確な位置関係を無視しているケースは他にもあります。下の画像は『ペリー日本遠征記』の中に掲載されている石版画の一つですが、横浜応接所においてペリーが持参した献上品を並べているところです。

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ペリー上陸地点の海岸線に沿った方向(北西)に、富士山(西南西)はありません。この絵に描かれている富士山の方向は現在の横浜駅の方角であり、野毛山ということもありえません。野毛山とは形も違います。

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また、この時にペリーが持ち込んだ電信機の実験が行なわれ、日本の役人たちを驚かせましたが、この石版画にはその時付設された電柱と電線が描かれています。この時、応接所から洲干弁天(現在の弁天橋付近)の境内にある住居に電線を引いています。弁天橋は応接所からおおよそ、西北西ですので、富士山の見える方角からは少しずれています。結局、ハイネは絵としての面白味ゆえに、富士山を付け加えてしまったのでしょう。
参考のため再度、地図を示します。





このように、ハイネはあくまで正確な位置を伝える事を主眼としていたわけではなく、アメリカ国民にペリー提督の業績を伝える一環として、ペリーの上陸風景の雰囲気、未知の国日本の情景を表現することに主眼としていたので、遠景と近景の方向が違っていることなど、さほど気にならなかったのかもしれません。むしろ、日本側が記録しているスケッチ等の方が、位置関係は正確に描かれている可能性があります。

さらに、『ペリー横浜上陸図』の影が問題です。

>3. 『ペリー横浜上陸図』に伸びる影 に続く!(7月中にUp予定)

ここで掲載している石版画は、著者のコレクションの中からスキャンしたものです。無断転載は禁じます。教育目的等の使用希望の際は右アドレスまでご連絡下さい。hrsh2@hrsh2.com